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今迄コンピュータに携わってきて、様々な経験や、移り変わりを、自分なりにまとめてみたいと思います。
コンピュータの流れを追っていると、現在のスマートフォンやタブレットの普及は、いままで何度も見てきた流れの繰り返しの一つに見えます。
簡単で、抜けている部分も多くありますが、ざっとした流れをつかむ助けになりましたら幸いです。
1940年代、誕生したコンピュータは1フロアの設置面積や、数十トンの重さを持つ電子回路による計算機でした。
電子回路で高速な計算を行うことが目的とされ、研究や軍事用途などに限定された非常に高額な装置で、製造自体が一つの国家や研究機関のプロジェクトになります。
このころはまだ汎用性に乏しく、企業でこのコンピュータを使う、という段階にありませんでした。
商業用にコンピュータが用いられ始めたのは1950年代。価格は一セット100万ドル(当時の為替レートでいえば3億円以上)。
このころ、ビッグブルーと呼ばれ、長くコンピュータ業界でトップにあり続けたIBMが誕生しています。
時間を経て安くなっていくとはいえ、一セット導入するためには1億円を超え、そのようなシステムでは数メガバイトの磁気ディスクなどの追加だけでも数百、数千万円からが必要でした。
これが汎用機、メインフレームなどといわれる、現在でも銀行や行政機関などでも利用されている高価なコンピュータの礎です。
一台のコンピュータに、複数の端末という計算能力を持たない入出力装置を接続し、複数のオペレーターが利用していました。
1970年代、コンピュータ業界で知らない人のいないIntelが4bitと8bitのマイクロプロセッサを発売しました。
このマイクロプロセッサは個人でも手に入るものでしたが、当初フロッピーディスクさえもなく、入力装置なども16進用キーボード、表示装置は4ケタ程度のLED、メモリも1KB程度のワンボードマイコンという形でユーザーの手に渡るものでした。
卓上計算機から発展したようなコンピュータではありましたが、個人が手に入れることができ、プログラムによってプログラマの思い通りに動作させることができる最初のコンピュータでした。
この8bitのワンボードマイコンに16KBを超えるメモリ、ブラウン管モニタとの接続、アルファベットと数字を備えたフルキーボード、保存用カセットテープやフロッピーなど、現在一式のコンピュータとして最低限ととらえられるようなコンピュータが、パーソナルコンピュータとして発売されました。
これが1970年後半のこととなり、最初に商業展開したものがAppleIIとなります。
時を同じくして、マイクロソフト創業者、ビル・ゲイツ氏はそれまで高校、大学在学中、メインフレームでコンピュータ技術を習得していましたが、パーソナルコンピュータ向けにBASIC言語を移植することから、事業を開始し、世界最大のソフトウェア企業となる一歩を踏み出しました。
最初のパーソナルコンピュータは今から考えられないぐらいに非力でした。商業用に利用できる用途は限定されており、コンピュータをホビーに使う上でゲームというのは大きなウェイトを占めていました。
数十万円するゲームが主な用途のコンピュータというと、今では想像しにくいものがありますが、コンピュータを個人が所有できるという先進性が何よりも重要でした。
このころメインフレームをはじめとした高価なコンピュータの世界では、OSにUnixが登場し小型化、低価格化しオープン化の波が訪れていましたが、規模の大きい企業などが基幹業務ソフトウェアとセットで購入するものである状態からの変化はありません。
やがてパソコン用のマイクロプロセッサも16bit、メモリ1MB前後を備えるようになり、フロッピーディスクや、ハードディスクなども低価格化して、一般にも手に入りやすい状態になりました。
これが1980年代の話ですが、このころからコンピュータを使われている方は、30年近くになります。このころもホビー用途が主なものでしたが、一部表計算や、ワードプロセッサとしての利用も始まり、速い方はビジネスにも取り入れられるようになりました。
1985年、i386という32bitのマイクロプロセッサが発売開始されました。
この32bitのマイクロプロセッサは16bitのものより大きくメモリを扱えるようになり、並列処理を安全に扱うことができるものです。
ここに目を付けたのがLinuxの創始者リーナス・トーバルズ氏で、Unixを独自に32bitのパーソナルコンピュータで実行することを目的として作成されました。
これにより、より高価なコンピュータのソフトウェアをパーソナルコンピュータに持ち込むことができるようなり、コンピュータの可能性が大きく前進することになります。
32bitはLinuxの登場も大きな大きなイベントになりました。
メインフレームのような高価なコンピュータでなく、パーソナルコンピュータのような安価なコンピュータで動作するLinuxの存在がなければ、現在のインターネット、巨大な規模のクライアント・サーバの仕組みは、ある程度の規模の企業以外への普及は数年以上遅れたのではないかと考えます。
メインフレームか、最低でもハイエンドワークステーション規模のコンピュータを持つ企業あるいは教育機関のみが参加できるインターネットを想像してみてください。
このLinuxの成長とインターネットの拡大はちょうどよいタイミングで訪れた感覚があります。
32bit時代のもう一つ大きなイベントとしては、GUIを備えたOSの普及です。グラフィックを利用したユーザーインターフェイスは、それまでハードルの高かったコンピュータの利用者を一気に増やしました。
1995年に発売された、Windows95はOfficeとインターネットというGUI普及の二つの歯車がうまくかみ合って、その後続くWindows普及の駆動力となりました。
GUIを最初に取り入れて、一般むけに提供し始めたMacintoshは先進性を持っていましたが、概念としてGUIはDTPなどデザイン、クリエィティブ用途という印象で、多くの人にとっては縁遠いイメージを持たれがちでした。
すでに過当競争といっても差支えないPC/ATという規格のパソコン上で動作するGUIをそなえたOSは、機器自体が低価格であったこともあり、爆発的な普及を実現し、パソコンといえばWindowsという流れをつくりあげました。
コンピュータの出荷台数ベースでみれば、最も少数なのがメインフレームをはじめとする高価なコンピュータ、続いてサーバー、ワークステーションなどの高性能なコンピュータ、そしてそれらをしのぐ、はるかに大きいパーソナルコンピュータという市場になります。
このパーソナルコンピュータの時代を支えたWindowsは、安価である、ハードウェア、ソフトウェアが手に入りやすい、システムに組み込みやすい、というメリットがありました。
またホビーパソコンとして、パソコン登場以来普及に欠かせないゲームの部分を、WinGから始まったDirectXという強固な基盤を成長させ抑えたことは、パーソナルコンピュータの歴史を踏まえてきたマイクロソフトならではの戦略と言えるでしょう。
その一方、あまりにもありふれ安価になりすぎたパーソナルコンピュータから、IBMをはじめ、いくつかのコンピュータメーカーが撤退するなどの動きもありました。
その長い15年近いWindowsの時代から、スマートフォン、タブレットなどスマートデバイスに、コンピュータの主流は移行していっています。
これらスマートデバイスの大半はUnixを基盤にしたOSで動作しており、また、より安価で、より手に入りやすく、より操作のハードルが低いというパーソナルコンピュータの普及の歴史を踏まえています。
またスマートフォンが普及期を迎え、アプリストアなどではゲームが一番のシェアを占めている状況は、いままでの新しい形式、新しい技術のコンピュータが個人向けに投入されたこれまでの流れと同じように感じます。
これからコンピュータの出荷台数でみれば、いままで最も大きかったパーソナルコンピュータよりも、さらに大きい規模のスマートフォン市場がつながるというイメージです。
1. まずあたらしい機能はより高価なコンピュータで開発されます。
2. それがより安価で小型のコンピュータの発展によって、実行可能になり、取り入れられます。
3. 小型のコンピュータの普及のきっかけになるのはゲームなどのホビーです。
4. ホビーユースのコンピュータが成熟すると、企業で用いられるようになります。
コンピュータが一般化していく過程はおおむねこのサイクルを踏襲しています。
史上初めて製造されたコンピュータが、80年代のゲーム専用機にはるかに及ばない性能であったように、Windows95発売当時のパーソナルコンピュータは、現在のスマートフォンからみれば、かなりの能力の隔たりがあります。
30年前のパソコンユーザーに、2013年で最も出荷されているコンピュータは手のひらに乗るサイズで電話機能と兼用で、Unixを基盤としたシステムで動作している、と言ってもおそらく理解できないでしょう。
しかしやってることはゲームだ、といえば、なんだあまり変わらないな、ということになるかもしれません。
30年の間でさえ、十年ほどのサイクルで、進化し、小型化し、普及、という出来事が何度も起こっていることがわかります。
次の10年のサイクルは想像できても、その次のサイクルを今の段階から予測することは難しいといえるでしょう。